2011年11月17日木曜日

東日本大震災復興支援プロジェクト[パート8]-《ココナッツ・パラダイス倶楽部》


11月8日~10日の日程で宮城県亘理郡亘理町の荒浜港へ復興支援のお手伝いに行ってきました。今回はガレキ撤去が主な目的ではありません。津波によって海中に流されてしまった石版の引き揚げ作業をお手伝いさせていただきました。
この石板は、町の発展に大きな貢献をされた方を称えるために町の方たちで建てた石版です。現地ボランティアの代表の方もおっしゃっていましたが、こういった町の方が望んでいる事をするのも復興支援だと思います。
既に前回に来た時に目印を付けておいたので、8日の最初の作業は埋もれた石版を完全に露出させ、周りの状態の確認と引き上げの際に障害となりそうなガレキの撤去を行なうことでした。
石版露出のために水中スクーターを使いました。スクーターの水流で比較的軽い堆積物を吹き飛ばし、重い物を移動させ、石版の上を綺麗な状態にしました。一つの作業をするたびに視界はほぼ0になります。そのため、視界が良くなるまで少し待ち、次の作業を行なうという繰り返しでした。スクーターの水流を使い、濁った水を押し流したり、吸いとったりすることで作業の時間を短縮することができましたが、5名で約40分間の時間がかかりました。
その後、周囲のガレキの撤去を行ないました。12時から始めた作業も、日が暮れる16時近くには大体回収し、次の日の引き上げの作業に備えることができました。
9日は、10時に現地集合し、引き上げ方法と手順の確認、役割分担、合図の仕方を確認後、作業開始!! 重機を操縦される建築業の方、ボートを出してサポートしていただいた漁師さん、陸上の準備や手伝いをして下さったボランティアの方々との連携で、石板は見事に、そしてスムーズに回収することができました。
この石板は生活のためにはなくても困らないのかもしれません。でも、町の人が望んでいることなのです。そんな石版のために、普段はバラバラに復興のために動いているのに、ひとつのことをみんなで協力して行なう。とても素晴らしいことだと思いました。

東日本大震災復興支援プロジェクト[パート7]-《ココナッツ・パラダイス倶楽部》


10月31日~11月2日までの日程で、宮城県の亘理郡と東松島市へ視察と準備、水中の調査を兼ねて行ってきました。
10月31日はボランティアセンターの方と合流し、宮城県亘理郡亘理町の荒浜港に行きました。荒浜漁港の方から、地元の発展に貢献した方を称える石板が津波で海の中に落ちてしまったので、できることなら見つけて引き上げて欲しいという要望がボランティアセンターの方に寄せられました。これも、心の復興支援だと思います。
現場に到着したのは夕方でした。この日は、津波の方向を考慮し、捜索範囲の確認と手順の打ち合わせのみ行ない、ボランティアセンターへ戻りました。
11月1日の午前中は、宮戸島周辺での復興支援活動のために、《ココナッツ・パラダイス倶楽部》で準備したコンプレッサーの設置と使用方法、注意点を現地の方に説明し、タンクにチャージを行ないました。そのタンクを車に積み込み、亘理郡亘理町の荒浜港へ一路向かいました。
捜索は、現地ボランティアセンターの方1名と《ココナッツ・パラダイス倶楽部》のスタッフ3名、合計4名で捜索を行ないました。石版の大きさは、約畳一畳くらいでその重さは約800キロ。ダイビングの前に捜索手順の確認を行ないました。透明度は1mもない状況でした。にも関わらず、現地ボランティアセンターの方が何回か素潜りのように潜ったところ、いとも簡単に発見してしまいました。ちょっと肩すかしの気分ですが、なにはともあれ見つけることが一番です。そのまま、引き上げ作業の段取りと日を決め、この日は終了しました。
11月2日は復興支援のお手伝い予定の、東松島市の宮戸島へ行きました。海の中の現状をまずは聞いて、その場所の確認のためにダイビングしました。いくつか養殖筏のアンカーを見つけたので一緒に回収してきました。このアンカーは新しく作ると、ひとつ数万円もするそうです。
今回の石版の回収や少数のアンカーの回収など、行政ではなかなかできないこともダイバーならできるのです。
さぁ、次回は石版の引き上げ作業に参加してまいります。

2011年11月8日火曜日

東日本大震災復興支援プロジェクト[パート6]-《ココナッツ・パラダイス倶楽部》


10月24~27日の日程で宮城県気仙沼市唐桑半島へ6度目のガレキ撤去作業のお手伝いに行ってきました。
今回は、総勢7名でお手伝いさせていただきました。人数が揃っていたので3名1組のチーム体制を取り、今までよりも効率的に、さらに安全性を高めての作業が行なえました。
今回お手伝いをさせていただいた港は、以前にもガレキ撤去作業でダイビングをしたところでしたが、それでも新たに自動車やボート、船外機(エンジン)など見つかりました。ボートは次の日には回収作業を行ないました。
6週間にわたって行なわれた宮城県気仙沼市唐桑半島での支援活動は、10月末で一区切りをつけさせていただくことになりました。
なんだか少し寂しい感じがします。漁師さんたちからは、「また志願して唐桑においでよ!」なんて声をかけていただいたり、宿泊でお世話になった《リアス唐桑ユースホステル》のオーナーも、作業現場に何度も見に来てくださりました。
また別の場所で違った形の支援活動の準備のため、東北へ行ってきます。その様子はまたご紹介いたします。
何度もお伝えしておりますが、この活動は私たちだけで行なおうとは考えておりません。私たちだけでは限界があるのです。これからもたくさんの方の応援とご参加、そしてご協力をお待ちしております。

東日本大震災復興支援プロジェクト[パート5]-《ココナッツ・パラダイス倶楽部》


10月17日~20日の日程で、宮城県気仙沼市唐桑半島に行ってきました!
今回は《ココナッツ・パラダイス倶楽部》から4名のダイバーで鮪立(「シビタチ」と読みます)地区のお手伝いをしてきました。
初めてお手伝いする場所でした。実はここ唐桑半島だけでも、大小合わせると20近い港があり、それぞれ漁を営んでいました。まだまだ、ダイバーが入っていない場所もたくさんあるようです。
朝、集合場所に行くと、そこには20人程の漁師さんたちがすでに集まっていらっしゃいました。挨拶を済ませ、一日の流れを確認して、私たちは2つのバディに分かれ、漁師さんたちの船に乗り込み、それぞれ指示された場所で水底の様子のチェックとガレキ撤去の作業を開始しました。
場所によっては、家の屋根がそのまま残ったような状態で沈んでいるところもあれば、津波の方向のためか小さなガレキだけで比較的きれいな場所もありました。少しずつ、透明度も良くなり、魚も増えてきているような感じがしました。
今回は集中して一ヵ所で作業するというよりも、港の中の広い範囲で確認とガレキ撤去を行なうような感じでした。それでも車一台と、再生できるかもしれない船外機(船のエンジン)を3機、ちょっと大きめの金庫と小さめの金庫なども見つかりました。金庫は警察に報告され、簡単な調書の作成も行なわれました。
担当の組合の方に写真を見せていただいたのですが、この地区も震災の時は、気仙沼から様々なものが流れこんできたようです。火のついた船や家などが小さい港の中に流れ込んでいる様子でした。
3日間で合計8ダイブの作業をお手伝いさせていただきました。ここに投稿させていただいているのは、多くの方に現状を報告し、多くの方にご賛同いただき、多くの方の力で復興支援を行ないたいからです。ぜひ、皆さんも復興支援にご協力いただけないでしょうか。ショップ、サークル、個人のダイバーの方でも、興味がある方はココナッツ幕張本郷店までご連絡ください。

2011年10月21日金曜日

東日本大震災復興支援プロジェクト[パート4]-《ココナッツ・パラダイス倶楽部》


3連休明けの10月11日から、いつもより1日短い日程で、《ココナッツ・パラダイス倶楽部》から3名で復興支援活動に行ってまいりました。お手伝いさせていただいた場所は、同じく宮城県気仙沼市唐桑半島です。
朝8時に小鯖という港に集合。そこからボートで5分ほど離れた栃浜という所からスタートしました。
私達が着くころにはすでに6~7隻程のボートに漁師さん達が分乗して、海の中の様子や、ガレキ状態をチェックしているようでした。ダイバーチームは2つに分かれて、片方は少し沖合の水中のチェックとガレキの撤去、もうひと組は、岸近くに沈んでいる家の屋根の撤去作業にあたりました。
この屋根が畳6枚ほどの面積で、引き上げのためにロープをかけるのも大変でした。船上の漁師さん数名で屋根を水底から浮かせている間にロープを回して結び付け、そのままボートで沖合まで引っ張って移動。途中、その大きさのためロープが外れ、もう一度結び直し、なんとか撤去ができました。
作業した場所では、震災から7カ月経った今でも、水面付近で油の臭いがありました。屋根を引き上げた直後は更にその臭いが強まりましたが、この屋根を取り除くことによって少しでも早く元の綺麗な海へ戻りやすくなることでしょう。
途中から風が出てきたので、いったんボートを戻し、休憩を挟んで、港の岸寄りのガレキ撤去作業に移りました。大きなガレキは機械によって取り除いたとのことでしたが、実際の海の中はかなりの量のガレキが散乱していました。
生活用品、テレビ、冷蔵庫、洗濯機、自動販売機などから、鉄製のひしゃげた屋根、少し離れて水中の様子をチェックしていたチームは、水底に沈んだ車を2台も発見しました。
今回、お手伝いさせていただいた唐桑半島の西寄りの岸には、当時気仙沼から流されてきた燃えさかる船や家そのものも押し寄せてきたそうです。
2日間とも同じ港でお手伝いしましたが、まだまだその海本来の状態に戻すことは到底できません。たくさんのダイバー、ボランティアの継続的な力が必要です。 早く、もっと多くの支援を受け入れる体制と準備が整うことが望まれます。頑張れ日本!!
ぜひ、皆さんも復興支援にご協力いただけないでしょうか。ショップ、サークル、個人のダイバーの方でも、興味がある方はココナッツ幕張本郷店までご連絡ください。

2011年10月14日金曜日

東日本大震災復興支援プロジェクト[パート3]-《ココナッツ・パラダイス倶楽部》

10月3日~6日に宮城県の気仙沼唐桑半島での支援活動に参加してきました。今回の復興支援には《ココナッツ》、《パラダイス倶楽部》のスタッフ3人が参加しました。
10月4日(火)は大沢漁港にて午前中2ダイブ、漁師さんが定置網を仕掛けるうえで障害となるものがないかの調査です。水深30mあたりでの調査となりました。透明度は水底付近は1m前後でした。
午後は、同じ港に車が沈んでいるかもしれないとのことで、捜索作業のダイビングをしました。ナンバープレートのついた車を発見して報告をすると、所有者は財産としての補償が受けられることになるので、とても喜ばれます。今回は残念ながら車は見つかりませんでしたが、ガレキは多数見つかりました。水深は8~20mでした。
作業2日目、10月5日は午前中、岩井沢漁港でガレキ撤去作業でした。大きいものだと洗濯機などがあり、撤去したガレキの量は軽トラック2台分です。水深は10m以浅で、70分くらいの作業でした。
午後は滝浜漁港へ移動し、引き上げるガレキのサーチとマーキングをしました。やみくもにガレキを引き上げるのではなく、大きなものは引き上げるための準備作業が必要です。この時の視界は5~7mでした。3日目は海況不良により、残念ながら作業中止となりました。
ぜひ、皆さんも復興支援にご協力いただけないでしょうか。ショップ、サークル、個人のダイバーの方でも、興味がある方はココナッツ幕張本郷店までご連絡ください。

2011年10月4日火曜日

東日本大震災復興支援プロジェクト[パート2]-《ココナッツ・パラダイス倶楽部》


いよいよ第1回の水中支援活動です。作業予定は9月19~21日の3日間でした。
支援活動内容は、港や漁師さんの要望により様々です。養殖用筏の周辺の調査や、再生可能なボートのエンジンや水中で環境破壊につながる恐れのある車やボートのバッテリーの回収、漁具の回収、ボートの運行に障害となるロープの回収と撤去など、様々なニーズがあります。
今回は、港内に散乱してしまった漁協の備品や再生可能なロープや漁具等と環境に悪影響を及ぼす物の回収を中心に作業を行ないました。
この日の透明度は運よく3~8メートル程あり、かなり良好なコンディションでした。それでも、やはり堆積物が多いため、一度水底に触れるとすぐに視界はなくなってしまいます。
最初は、水深5~15メートルの幅で捜索を開始。水中には、まだまだ多くのガレキが残っていましたが、まずは依頼を中心に行ないます。
バッテリーは結構大きなものが沈んでいて、プレジャーボートの人達がボートを止める(係留)時にイカリ代わりに使っているようです。もし中の液体等が海中に溶けだせば即、環境破壊に繋がるので回収します。
この時のダイビング時間は70分でした。回収しては引き上げるといった繰り返しです。
2回目のダイビングでは、捜索範囲を水深15~20メートルに広げて捜索をスタート。すり鉢状の小さな湾上の港内なので、流されたものがその中心に集まるのではないかと考え、まずは中心付近を目標に向かいました。水深20メートル付近でしばらく捜索を続けると、視界に車が入ってきました。見た目には大きな変形などもなく、原形をとどめた状態で沈んでいました。これはさすがに回収できないので、マークを付けておきました。
後で知ったことですが、海中で見つけたナンバープレート付きの車は、引き上げ対象物となるようです。車は持ち主が特定できて、保険などが適用され、持ち主の財産の保護になるのです。この車が引き上げられる時に、周辺にある印を付けたガレキの撤去も行なってもらえるとのことでした。
この日は他にバッテリー、漁協のスクーバタンク、ロープなど再利用可能なもの等々の回収を多数行ないました。
一日の作業を終え、車に乗り込み帰ろうとすると・・・1日中降り続いた雨のため、マイクロバスを止めておいた下の土が一気に泥沼のようになっていて、前にも後ろにも進むことができない状態になってしまいました。現地での経験不足でした。いろいろやってもダメでした。結局、その日はそのままにしておき、また次の日にチャレンジして、他の方の手を借りながらようやくスタックから脱出することができました。
今回の活動により、現地の漁師さんからもとても感謝していただけました。まだまだ水中は手付かずのところが多数あります。ぜひ皆さんも復興支援活動にご協力ください。

東日本大震災復興支援プロジェクト[パート1]-《ココナッツ・パラダイス倶楽部》


今、私たちができることをしよう!! でも、私たちに何ができるのか、何をすればいいのか、そのためにはどうすればいいのか、わかりません。そのためにまず、9月7~9日に現場の視察を行なってきました。
今回訪れたのは、宮城県気仙沼の唐桑半島と、気仙沼湾内にある有人離島の大島です。
なにぶん初めての気仙沼。テレビでしか現状を知りませんでしたが、潮が満ちてくると本当に、さっき通ってきた道が通れないのです。ナビを頼りに行くのですが、すでにその道がないというのも当たり前でした。
8日、唐桑半島では漁師さんの船に乗りこんで、海中のアワビの様子やそのエサとなる海藻の様子、ガレキの量等を確認してきました。場所によってはいたるところにアワビが生息しています。それを見るだけでも、本来とても豊かな海だったことがわかります。また、津波によって変形してしまった堤防の状態等も見てきました。
9日はカーフェリーで大島に渡り、陸上と水中の様子を見てきました。この島は東北最大級の有人離島となっています。津波は、島の真ん中の土地が低くなっている所へ両サイドから乗り越えてきたそうです。ここも大きな被害を受けています。
視察の結果、《ココナッツ・パラダイス倶楽部》の最初の支援先は、今回最初に訪れた宮城県漁業協同組合の唐桑支所の管轄の唐桑半島に決めました。 

2011年9月13日火曜日

宮城県石巻市でボランティア活動-《ダイバーショット》


私、愛媛県のPADIダイブリゾート《ダイバーショット》の赤尾哲が4月3日から11日まで、宮城県石巻市でボランティア活動をしてきました。
当時はまだ水、電気、食料、すべてがなく、移動手段も限られていたので仙台市まで佐川急便営業所止めで自転車を送り、現地で受け取って移動手段としました。営業所も震災の影響で混乱しており、自転車を受け取るのも一苦労で、半日かかる始末でした。自転車と一緒に、瓦礫撤去の際に役立ったチェンソー、チェンソーの燃料、水、最低限の食料も送りました。 
まず仙台でもボランティアを考えたのですが、市内在住者のみとのことでした。いろいろ情報を集めると石巻が被害ひどく、ボランティア募集しているとのことでしたので、一日かけて石巻まで移動。仙台から石巻まで移動中の多賀城、塩釜、松島の光景は凄まじいものがありました。
石巻到着後は一週間、瓦礫撤去作業。深夜に最大の余震があった翌日は作業中止となりましたが、他の日は石巻市民のお役に少しは立てれたのではと思っております。まだまだやらなければいけないことはたくさんあったのですが、水、食料、すべてのものが限られているので、一週間が限界でした。
石巻滞在中のエピソードなど、まだまだたくさんありますが、長くなるのでこのへんにしておきます。
そのほかの写真はこちら(ウェブアルバム)をご覧ください。
情報提供:《ダイバーショット》赤尾哲

2011年9月5日月曜日

被災地の子供たちを招待してスノーケリング教室を開催


8月23日(火)に《伊豆海洋公園ダイビングセンター》において、被災地である福島県から伊豆高原に避難してきている子供たちに夏休みの思い出づくりを、ということで、《NPO法人アンダーウォータースキルアップアカデミー》の声かけのもと、《伊豆海洋公園ダイビングセンター》、《LLP静岡潜水指導者組合》の協力により、伊豆高原のペンションに宿泊している4歳から10歳までの7名の子供とその家族を招待し、スノーケリング教室を開催しました。
PADIメンバー3名を含む5名のダイビングインストラクターが当日参加し、水遊びが初めての子供から水泳が得意な子供まで、レベルに応じて水遊び&スノーケリングを行ないました。当日はスノーケリング以外にも、プールでの宝探しゲーム、アジのつかみ取りなど、スタッフも子供たちもみんな一緒に楽しむことができました。終了時には子供たち一人一人が私達スタッフに自分の言葉でお礼を言ってくれたことがとても印象に残っています。参加したスタッフ達もこの言葉で元気をもらうことができました。
なお、今回のイベントに携わった《伊豆海洋公園ダイビングセンター》、《NPO法人アンダーウォータースキルアップアカデミー》、《LLP静岡潜水指導者組合》は、5月16~20日までの期間、《伊豆海洋公園ダイビングセンター》の呼びかけで行なった、宮城県気仙沼市唐桑での漁業復旧作業にも参加しています。
PADIメンバー3名をはじめとする参加者8名で、タンク60本など必要器材すべてをトラックで持ち込み、ボランティアとして漁船の引き上げ、養殖いかだを復旧させるために瓦礫といかだに絡まった水中のロープの切断などの水中作業を行なってきました。その後も現地へ赴き作業の手伝いを行なっているメンバーもいます。
このようなダイビングインストラクターならではの直接的な支援活動を私たちは今後も継続的に計画しています。上記活動に参加した《Keep Smiling !》の苅部(NPO法人アンダーウォータースキルアップアカデミー&LLP静岡潜水指導者組合所属)が、参加した他のメンバーを代表して今回報告させていただきました。

2011年7月20日水曜日

『We can do it 頑張れ日本プロジェクト』-《フリーダムファクトリー》


大震災の復興支援のために、有限会社アド・コンドル《フリーダムファクトリー》では、震災復興支援ポストカードで被災地支援をする『We can do it 頑張れ日本プロジェクト』を行なっています。
カメラマンやクリエイターの方々から無償でご提供いただいた作品のポストカードを作成して、お客様に100円でお渡しし、そのうち90円を被災地支援に役立てるための義援金・支援金としています(末永く続けたいため、10円は材料費として使用させていただいています)。
その他、東北の印刷所・紙代理店と協力して作成したノートや、缶バッチなどの収益からも寄付を行なっています。
5月末の時点で日本赤十字社・国際協力NGOピースウインズジャパン・くまちゃん義援金に合計25万円の寄付を行ないました。
今後も沢山の方に知っていただいて、支援の輪が広がるように日々頑張って行きます!

2011年7月14日木曜日

被災地ダイバーの受け入れ-《アクアクエスト》


今回の東日本大震災では、東北地方に住むダイバーの多くが、大きなダメージを受けています。岩手県陸前高田市で養殖業を営んでいた吉田先穂さんもその一人。現在は、陸前高田市を離れ、東京での生活を送っています。
そんな吉田さんの力になろうとサポートしているのが、東京都豊島区にあるPADIダイブセンターの《アクアクエスト》。吉田さんと《アクアクエスト》オーナーの澤田さんにお話をうかがいました。
吉田さん(右)と《アクアクエスト》オーナーの澤田さん(左)
●吉田さんがダイビングを始めたきっかけは?

私は実家が養殖業を営んでいるのですが、今までも津波(チリ地震等)がくる都度、養殖施設に被害がありました。そこで少しでも漁協や仲間の役にたちたいと思い、潜水士の免許を取得したのですが、実際の潜水ができず、半ばあきらめていたところ、同業の仲間からダイビング雑誌を紹介され、ダイビングを教えてもらえるお店があることを知りました。

雑誌に載っているさまざまなお店に問い合わせをしましたが、その中でも、《アクアクエスト》はマンツーマンでしっかり教えてくれそうだったので、ここに決めました。その結果、確実に潜れるようになり、2010年のチリ地震の津波の被害の際にもしっかり潜ることができて同業の仲間も喜んでくれたことから、1年に1回は《アクアクエスト》で潜るようになりました。(吉田さん)
●震災後の生活スタイルはどのように変わりましたか?

実際に震災にあって分かったことは、今まで普通にあったものがなくなり、養殖業で使っていたもの(漁具・船など)もなくなり、生活に必要なものが全てなくなったということ。陸前高田での生活が苦しくなったので、親戚のすすめと《アクアクエスト》の仲間もいることから、東京で仕事をしながら暮らすことになりました。(吉田さん)
●ダイビングについての思い

正直、津波を目の当たりにしてから、いざ海を目の前にすると、怖さと不安でいっぱいになり、今までにできたことも普通にできなくなったような気がしました。今から潜れるのか、とても不安でしたが、《アクアクエスト》の仲間が一緒に潜ってくれたので、徐々に不安も取れ、むしろ楽しく潜ることができました。(吉田さん)
●今後どのようにダイビングをしていきたいですか?

岩手県陸前高田には何もなくなってしまったので、町の復興を兼ねて、できれば地元の養殖業の仲間たちとダイビングサービスをやりたいと思っています。陸前高田は漁業の町なので、養殖業もそうですが、海の物が良くならないと町は復興できません。ダイビングサービスを作って町の復興につなげるために、東京にいるうちに《アクアクエスト》でダイビングのスキルを上達させ、ランクを上げていきたいと思います。(吉田さん)
●ショップとしてどのようなサポートをしていますか?

吉田さんとは、お店がオープンして以来の関係で、今回の被災の際は、生死も分からない状態で、電話も繋がらないことは覚悟の上で、スタッフ、お客様がインターネットやTwitter、mixi、電話などで生存確認をしたことを覚えています。吉田さんがやっと電話をくれたときは、親戚よりも先に《アクアクエスト》に連絡をくれたそうで、うれしかったです。

地震後、お客様の力を借りて、現地にお客様から頂いた支援物資を届けにいきました。また、吉田さんが東京に就職してからは、毎週末お店に遊びにきていただき、お客様とふれあいの場を提供し、吉田さんの時間が許す限りダイビングにもお連れしています。(澤田さん)
●今後はどのようなサポートを考えていますか?

今回の被災は広範囲で、とても一店舗の力では何もできないのですが、吉田さんと知り合えたことで、より身近な東北になったと思っております。今、《アクアクエスト》では、吉田さんはもとより、もう一度海に潜りたいという被災者の方々に、特別な料金プランやサービスをご用意させていただこうと思っております。また、私たちが潜ることでお役に立てるのであれば、お手伝いにうかがいたいとも思っています。(澤田さん)